🎼第14回公演ドイツ・レクイエムコンサートを終えて

 

 

ドイツ・レクイエムを歌いきる    2021/5/27 北日本新聞「四季の窓」に投稿

                               米田幹雄

 

九二年に発足した黒部で第九を歌う会がブラームスの大曲に取り組んだのは四年前。コロナで公演を一年延期したが今年も開催は危うい状況だった。富山シティフィルとのコラボはかなわず小編成のオケとの構成になった。感染予防対策を様々検討し、合唱マスク着用にも寸前までいろいろ意見が出た。

歌いながら、練習での指摘を逃さぬよう、横島勝人先生の指揮と楽譜や曲の流れに意識を集中した。ここはクリアした、少しずれた、などが頭をかすめるうちに終盤を迎え、四年間の集大成を力いっぱい歌い切った。

録画したデーターをもらって帰り、翌日youtubeにアップしてHPとリンクし、皆に伝えた。合唱の出来栄えはどうだったか、繰り返して聴いた。

これまでは合唱の一パーツになりきることに注力してきたが、ようやく曲として鑑賞している自分に気が付いた。合唱・楽器・ソリストの掛け合いが美しい。ピアノの流れるような旋律、バイオリンの透明な調べ、ドラスティックなティンパニーの響き、朗々としたソリストの歌声。特に練習伴奏でいつも聞いてきた筈のピアノの音色に心を奪われた。

団員の感想や聴衆からの声も届いた。「Selig の第一声でしびれました。いいコンサートでした」「あの大曲をまさに歌い上げた!という感じ。感激」‥‥。

 

改めて歌詞の意味にも目を通してこんな一節に気づいた。「喜びと歓喜をつかみとり そして苦悩と嘆息は消え去らん。必ずや」(イザヤ書35:10)。    コロナ征服にあと一歩。無事歌い終えた幸せを感じている。

 

 

■ドイツ・レクイエムを歌い終えて(宗教曲雑感)   2021/5/25

                   小西由郎

 

 去る四月二十五日、四年がかりで練習してきたブラームスのドイツ・レクイエムをようやく公演することが出来た。「黒部で第九を歌う会」の合唱団メンバーとして参加したものである。本来は昨年四月にフルオーケストラで演奏する筈が、コロナのため直前になって延期になった。元々三年もかけて練習するとは、富山から黒部へ夜間運転で練習に通う私にとって、少し長すぎると思っていた。合唱団員も年配者が多く、この間何事も起こらなければいいがと心配していたら、まさかコロナで延期とは!それどころか昨年三月とこの二月に、我が身が放射線出血膀胱炎と膀胱結石で二度も入院手術をするとは夢にも思わなかった。演奏会当日はコロナ対策のため合唱用のマスクをし、間隔を十分とってステージに上がった。それだけに歌い終った時は、大ホールで四百名の聴衆を前にし、久し振りに生演奏できた喜びで感慨ひとしおであった。何よりも病み上がりの身でステージに立って、(途中でトイレへ行くことも無く)無事歌い終えたことが何よりも嬉しかった。

 演奏会から一ヵ月、コロナがますますひどくなり、活動も制限され気が抜けたようになった。しかし気を取り直して、今までに歌ってきた有名な宗教曲五曲の感想を取りまとめておきたいと思い、本稿に向っている。

 なお「レクイエムRequiem」とは、カトリック教会で死者の安息を神に祈る曲で、歌詞はラテン語である。三大レクイエム(モーツァルト、フォーレ、ヴェルディ)もベートーベンのミサ・ソレムニスも、ラテン語で決められた歌詞に曲がついている。一方ブラームスのドイツ・レクイエムは、ルター訳の聖書からブラームス自身が選んだ歌詞でドイツ語であるところから、ドイツ・レクイエムと呼ばれている。

 以下三大レクイエム、ミサ・ソレムニス、ドイツ・レクイエムを歌ってきて感じたことを、自分なりに難易度を付け難しい順に記述してみる。独断と偏見によるもので、また私の演奏記録になっていることをお許しいただきたい。演奏時間は私が所有するCDによるもので、実際の演奏会ではこれよりかなり長い間ステージに立っていることになる。

 

   ベートーベン作曲 ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲

 平成三十年八月二十六日 富山県民会館

 オーケストラ・アンサンブル金沢 合唱団OEKとやま

 独唱 ソプラノ メゾソプラノ テノール バリトン指揮 山下一史    CDでの演奏時間約八十七分

 ・第九交響曲と同時期に作曲され、教会音楽というより演奏会のための壮大華麗なミサ曲。

 ・ポリフォニックでアクロバティックなフーガがあり、極めて歌いにくい。単純明快かつ複雑怪奇な巨大音楽。

・ベートーベンは人間の声を楽器のように扱っており、合唱団泣かせの難曲。第九が人類愛を歌いあげているのに対し、「ミサソレ」は世界平和への願いを込めているように思う。大変いい曲ではあるが、第九交響曲よりはるかに難しく、それだけに人気はいま一つか?私も不完全燃焼であった。機会と体力があれば、リベンジしてみたい。

 

   ヴェルディ作曲 レクイエム

 平成二十九年八月二十七日 富山県民会館

 オーケストラ・アンサンブル金沢 合唱団OEKとやま

 独唱 ソプラノ メゾソプラノ テノール バリトン

 指揮 山下一史    CDでの演奏時間約八十六分

 ・宗教音楽の衣をまとった、オペラのガラコンサートを思わせる非常に華麗なレクイエムである。

 ・オーケストレーションと人間の声を知り尽くしたヴェルディらしく、嵐のような感情の燃焼が展開される。

 ・テレビやラジオのコマーシャルでよく流れる「怒りの日(ディエス・イレ)のテーマが全曲随所に登場する。

 ・当日の公演は大成功で、私も完全燃焼出来た。

 

   ブラームス作曲 ドイツ・レクイエム

 令和三年四月二十五日 黒部市カーターホール

 Kurobeチェンバー・オーケストラ

 黒部で第九を歌う会合唱団 独唱 ソプラノ バリトン

 指揮 横島勝人    CDでの演奏時間約七十二分

 ・ブラームスの比較的初期の作品で、パターン化した曲展開など初々しい感じもする。彼の出世作である。

 ・「死せる者」のための宗教音楽というより、「生ける者」を慰め励ます、人生の指針ともいうべき音楽である。前掲ベートーベンやヴェルディに比べると地味な印象を与える。しかし歌い込めば歌い込むほどその良さが分かる味わい深い曲である。

 ・私は四年間も練習したので何とか暗譜しようと頑張ってみた。だがドイツ語の歌詞を間違えそうになり果たせなかった。またドイツ語の語尾の子音を鋭く発音することも、不十分であった。歌詞はラテン語の方が楽である。

 ・指揮者の横島先生が指導しているオーケストラ、合唱団がジョイントして、来年六月ウィーンの学友協会大ホールでドイツ・レクイエムを演奏する企画があり、黒部の合唱団にも参加のお誘いがあった。学友協会で歌えるとは夢のようだが、持病持ちの身では断念せざるを得ない。

 

   フォーレ作曲 レクイエム

 平成二十五年八月十一日 新川文化ホール

 とやまレディスオーケストラOASIS

 メモリアル合唱団  独唱 ソプラノ バリトン

 指揮 浅岡節夫    CDでの演奏時間約四十分

 ・フォーレは煌びやかな曲の多いサンサーンスに師事しているが、逆にしっとりとした味わいのある小品を多く残している。このレクイエムも決して派手ではなく演奏時間も短い。レクイエムの傑作として多くの人々に愛されている。

 ・メロディは美しく譜面もシンプルで簡単である。それだけに心を込めて歌う表現力が要求され、私としてはモーツァルトのレクイエムより難しいと思っている。

 ・当日の演奏会は滑川市の市制六十周年記念コンサートとして企画され、ヘンデルの「ハレルヤ」も歌った。

 

   モーツァルト作曲 レクイエム

 令和元年九月十六日 宇奈月国際会館セレネ大ホール

 宇奈月アマデウス祝祭管弦楽団 同合唱団

 独唱 ソプラノ メゾソプラノ テノール バリトン

 指揮 横島勝人    CDでの演奏時間約五十四分

 ・モーツァルトは作曲途中で病魔に倒れ、弟子のジュスマイヤーが補筆完成させたと言われているが、不自然さは感じられない。

 ・「モツレク」の名で親しまれ、聴きやすく歌いやすい傑作中の傑作である。オーケストラがいつも合唱のパートを伴奏してくれ、楽譜どおりに歌っていれば自然に曲想がついて音楽が完成していく。メロディもハーモニーも明確で、さすが天才モーツァルトである。

 ・私はどうしたことか、なかなか「モツレク」を歌う機会に恵まれなかった。一昨年、練習用CDに助けられ、十回程度の練習参加で初舞台を踏むことが出来た。宇奈月モーツァルト音楽祭として毎年演奏会が開催されているので、来年あたり体調が回復したら、完璧に歌えるようまたチャレンジしたいと思っている。

 

   長々と私見を綴って来た。「寄合談義」のメンバーの中に宗教音楽に造詣が深い方がおいでのことと思う。本稿に対するご意見ご批判を伺えれば幸甚である。

(令和三年五月二十五日記す)

 

(富山市在住 七十六歳 元会社員)

 

 

団員の知人より   2021/4/27
Selig の第一声でしびれました。いいコンサートでした。ありがとう。
あの大曲「ドイツレクイエム」をまさに歌い上げた!という感じ。
それに
してもこの状況下でよくやりましたね。
昔、高岡市の市民合唱では、毎年ミサ曲やレクイエムをやっていたのですが、

ドイツレクイエムだけはできなかった。
 羨ましい限りです。
1
ステでチャイコの大好きな弦楽セレナーデを生で聴けたのも良かった。
高嶋コンサート頑張りましょう! ではまた。

 

黒部で第九を歌う会etc 各位      通信担当 米田幹雄 2021/4/26

念願のコンサートを終えました。皆さんお疲れ様でした。

・合唱の出来具合が気になるところかと思います。
お互いに確かめ合ってください。

・合唱だけに囚われることなくオケにも注目下さい。
例えば第6曲になると合唱・楽器の掛け合いが際立ってきます。
ピアノの流れるような旋律、バイオリンの調べ、ドラスティックなティンパニー‥‥
日頃ピアノを合唱の伴奏のようにしか思っていなかったのが申し訳なくなります。
間部さんに感謝!!

・何を歌ってきたのか理解も必要です。
詩文の一番長い第6曲には次のように書かれています。
われらここに永遠の地をもたず、
しかるに、未来のものを求むればなり。
     (ヘブライ書簡 13:14)
見よ、あなた方に奥義を話しておく:
われらは全てが眠るのではない、
われらはしかし全て変えられる;
     (第一コリントス書簡 15:51)
突然、瞬く間に、
最後のラッパの時に。
すなわち、ラッパが鳴り響き、
死者はよみがえり朽ちぬ者となり
われらは変えられるのだ。
    (第一コリントス書簡 15:52)
そのとき、書かれてある言葉が実現する:
 死は呑みこまれてしまう、勝利のなかに。
 死よ、どこにあるのだ、おまえの棘は?
 地獄よ、どこにあるのだ、おまえの勝利は?
     (第一コリントス書簡 15:54/55)
主よ、あなたこそふさわしい方
賛美と誉れと力を受け取るのに、
なぜなら、あなたは万物をつくりだしたのであり、
またあなたの意によってそれらは存在し
つくられたのですから。
       (ヨハネ黙示録 4:11)